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大阪高等裁判所 昭和41年(う)380号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

<前略>

よつて先ず被告人及び亡夫朝之助の既存家屋居住の経緯ならびにその敷地乃至本件土地の占有の性質について考察する。既存家屋は大阪市立玉造幼稚園敷地の東北隅に在り、右幼稚園敷地は面積約三六四三平方米で古くから大阪市所有の土地であつてもと大阪市立東雲小学校用地であつたが戦後大阪市はこれを幼稚園用地として転用することとし、玉造小学校内に併設されていた玉造幼稚園が昭和二九年に右土地に移転してきたものである。ところで同年右敷地上に幼稚園の遊戯室を建設するに際し敷地内に集積してある資材を看視する者が居ないと盗難に罹るおそれがあつたので、当時玉造幼稚園の建設委員長をしていた民間人の藤岡剛が被告人の亡夫朝之助(もと警察官であつたので資材監視には適任であり、当時たまたま右幼稚園から余り遠くない森之宮東之町の借家に居住していたが、その借家の賃借権を他人に譲渡しいわゆる権利金として約一五万円を入手したがその金は諸種の用途に使用したため手許には約四万円しか残らないので、四万円の権利金では借家が借りられないため住居に困つていた事情に在つた)とは知人の関係であつたところから、藤岡は朝之助に右資材の監視をしてもらうこととし、その代償として右幼稚園敷地の東北隅に建坪約三一、三五平方米の木造瓦葺平家建家屋一棟を藤岡の私財約十一、二万円を支出して建築しこれに朝之助及びその家族(被告人と子女四名)を無家賃で居住させることとし、その際朝之助より前記余裕金四万円を藤岡に差入れさせ(これは入居のための権利金類似の金員であると想像される)朝之助が右家屋を明渡す際には右四万円は返還する約束であつた。(藤岡としては朝之助を居住させる期間は三年乃至五年と予想しており、その間朝之助が無家賃で居住していることによつてある程度の資金を蓄積し他に転居する場合の権利金ができるであろうと考えていた)そして朝之助等が右家屋に居住しうる期間については特に明示の合意はなかつたが、もともと朝之助を入居させる目的が右のように資材監視のためであり、朝之助は大阪市の職員でもなかつた(昭和二五年警察官を退職し、一時大阪府の失業対策関係の仕事の監督をしていたが、昭和三〇年頃以降は概ね民間会社の守衛的な仕事をしていたし、しかも右家屋は大阪市所有の幼稚園敷地上に建つているのであるから、朝之助自身としてもいつまでも右家屋に居住しうるものと考えて入居したものとは思われず、幼稚園の園舎、遊戯室その他の諸施設の建設、整備が完了して右資材監視の必要がなくなつた暁には早晩右家屋から退去しなければならないとの暗黙の諒解は藤岡と朝之助との間に存在していたものと思料される。(朝之助及び被告人は捜査段階で右家屋が朝之助の所有であるかのように供述しているのが、原審証人藤岡剛の供述に照らし到底信用できない)そして藤岡が右のように家屋を建築し朝之助を入居せしめるについては当時大阪市当局の係員に報告して諒解を求めており、市当局からは何等これに対し異議を述べていないから、市当局と朝之助との間に明示若しくは書面等による契約がされていないけれども、藤岡が朝之助との間に右のような契約をすることにつき、藤岡の代理権(大阪市を代理する権限)を大阪市当局が暗黙裡に授与又は追認したものと解することができる。従つて朝之助及びその家族等は藤岡との話合によつて取得した地位を以て大阪市に対抗しうるものというべく、右家屋に居住しうる間は社会通念上その敷地と認められる土地をも適法に使用しうるものというべきである。ところで右既存建物の周囲の状態は東側及び北側は約一、五米の間隔でコンクリート柱が立てられ、地上〇、五米の高さまではコンクリート柱の間をコンクリートで腰張りされていてその上部に四本の鉄棒が柱の間を横に張られて外柵を成しており西側は幼稚園の倉庫であり、そのさらに西側に三階建のコンクリート造の園舎があり、南側にも幼稚園の倉庫があつて、右のような四囲の建造物にかこまれた内部の土地は幼稚園としては使用しておらず専ら朝之助等の使用に委ねられていたから、この範囲が既存建物の敷地と認められ、既存家屋東端と東側の外柵との距離は約一、六米、北側外柵との距離は既存家屋から北側に建て出した便所、及び物入の附近は殆んど空地はないがその余の部分は約一米余、南側の幼稚園倉庫との距離は約一、三米西側倉庫との距離は約二、六米あつて、既存建物の周囲には右程度の狭少な空地があつて家屋敷地となつていたと言い得るであろう。そして本件において侵奪したとされている土地は既存家屋西端とその西側の倉庫との間の空地約一〇、九平方米であつてこの上に被告人等が本件建物を築造する以前は被告人等家族の洗濯物の干し場として使用していたことが認められる。

ところで弁護人は被告人及び朝之助が借地権に基き本件土地を占有使用していたと主張するのであるが、既存建物が朝之助若しくは被告人の所有であると認め得ないこと前説示のとおりであるから、朝之助や被告人は既存建物の敷地につき建物所有を目的とする賃借権乃至はこれに準ずる権利を有しないことは明らかであり、従つて借地権を有するものといい得ないことは当然である。然しながら朝之助は右家屋への入居を許容した藤岡との契約に基きこれに居住する権利を取得したことは明らかで右居住関係は前説示の経緯にかんがみると、返還の時期を定めない使用貸借が家屋につき成立し、かつ家屋についての法的地位を以て大阪市に対抗しうること前説示のとおりであるから、大阪市所有に係るその敷地についても家屋の使用貸借終了の時まではこれを使用しうるものと言えよう。そして朝之助が右家屋えの居住を認められるについては前記の資材監視の必要が消滅するまで若しくは消滅後大阪市が明渡を要求するまではこれに居住しうるという暗黙の合意があつたと思われることは前説示の経緯により当然推測されるところであり、幼稚園の園舎や遊戯室は昭和三一年頃には建設が終了して資材監視の必要がなくなり、幼稚園の施設及び敷地の管理者である大阪市教育委員会の当局者は昭和三二、三年頃から朝之助に対し既存建物からの退去を要求していることが認められるから、朝之助及びその家族等の既存建物従つてその敷地に対する使用貸借上の権利は昭和三二、二年頃には消滅し、爾後の占有は正権原なき占有で単なる事実上の占有となつたものということができる。

そこで進んで被告人らの本件建物築造の所為がその敷地の侵奪となるか否かを考察する。本件建物築造につき敷地の管理者たる大阪市教育委員会が承諾しておらず、かつその不承諾の意向を被告人らが熟知していたことは、建築に先立つ昭和三九年三月頃被告人及び亡夫朝之助が右教育委員会当局を訪れて前記既存家屋の西側の倉庫の転用若しくは空地での新築によりベビーセンター(託児所)を開設したい旨申入れたが明確に拒否されたこと及び本件建物の基礎工事ができた四月六日頃に右教育委員会係員、渡辺吾郎から建築の中止を申入れられた事実さらに藤岡が被告人等に新築については大阪市の了解を受けるよう警告した事家によつて容易に推認できるところである。また本件建物を新築することは、被告人らが不法に事実上の直接占有下においているその敷地部分たる土地につき、管理者たる大阪市教育委員会の有する適法な間接占有を、従前の空地状態における場合のそれよりも、より高度に侵害する状態に移行したものといい得るであろう。然しながらこの建物は建坪約一〇、九平方米の木造スレート葺平家建の小規模なものであり、既存のものに接続してこれと自由に出入できる構造になつていて既存家屋の附属建物の体を成しており、この新築によつて土地所有者又は管理者の直接占有を排除侵害して被告人らの新たな直接占有状態を現出するという事態を生起させたものでなく、(被告人らの従前から保持していた直接占有が前説示のように正当の権原に基かない不法の事実占有であるにしても)本件建物の新築は右事実たる占有の状態を単に変更したに止まるものと言わなければならない。而して窃盗罪(刑法第二三五条)の規定が、動産に対する他人の事実上の占有(所持)を侵害することを以て処罰の対象としていることと対比して考えれば、新に設けられた不動産侵奪罪(同法第二三五条ノ二)の規定も不動産に対する他人の事実上の占有を侵害奪取し新たな占有状態を作出することを刑法上の制裁の対象とし以てこれを禁圧しようとするものと解するのが相当であるところ、本件においては前記の通り、不動産に対する使用貸借終了後の事実上の占有を有する被告人が、その占有の状態を変更したに過ぎぬものであり、他人の占有を新に奪取する行為がないのであるから、不動産侵奪罪におけるいわゆる侵奪には該当しないものと解するのが相当である。従つて原判決が被告人らの本件建物新築の所為を以て不動産侵奪行為であると認めたのは事実を誤認したものであり、その誤は判決に影響を及ぼすこと明らかである。(田中勇雄 三木良雄 木本繁)

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